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発病と診断(1)
李ソン優 2009-09-22

発病と診断(1)

 


<全南大病院での1,2次診断結果>

 

1次診断:1月21日MRCP所見

上記者はLFTを住所に他病院で施行したabdomen CT 上 Lt. IHBD dilatation 所見と見ており、来院患者としてMRCP上、ERCPが必要です

(1) IPMN of biliary trace

(2) Klatskin tumor, Bismuth type IV

 

2月12日血液検査結果

AST : 128 ALT : 40 rGPT : 1123

Alkaline Phoshpatase 405 Bilirubin : 2.9 Glucose : 87

Amylase : 317 Lipase : 1284


 

上の枠内の内容は全南大病院で1,2次診断を受けた結果である。中心性管胆管癌(Klatskin tumor)だという。医者は妻に発生部位が肝臓の内部にあり、広い範囲に転移しているため手術、放射線治療、抗がん治療を行うことができず、ただ寿命を延長するために脇腹に穴をあけ胆汁を排出する方法しかとれないと説明した。そして私の命は残り2,3ヶ月から一年だと宣告した。

 

私はMRI検査後に所見書を見たため、この結果を入院前からインターネットで調べて承知していた。妻にも話をした。私達は最悪のケースを覚悟していた。どこをみても中心性管胆管癌は肝臓自体を移植するしか生きる道がないというのが定説だった。

 

風邪さえひいた記憶がないくらい健康だった。病院など行ったこともないくらいに決行だけが自慢だった私がどうしてこんな治療方法すらない悪性の癌にかかってしまったのだろうか。

 

不吉な兆候と発病

 

2004年10月17日、5年近く寝たきりの父が85年の生涯を終えた。父とは言い争うことこそあったものの、父の他界は私にとって耐え難い悲しみだった。約6ヶ月間うつ病のような状態に陥った。

2年後の2006年2月26日、息子よりも愛を注いで16年間苦楽を共にしたペットのチワワが他界した。予想できたことであり、心の準備もしていたが私にはやはり悲しい出来事だった。人生の中であれほど泣いた夜もなかったかもしれない。しかしこの頃に私の人生の最大の目標であり、意味をもつ息子・セミンがケンブリッチ大学に合格した。w足しは人生の成功者になったかのように胸が一杯になり、幸せを満喫した。しかし皮肉にもそれ以上の虚脱感も感じていた。まるで左右の視界を遮られた競走馬のように、ただひとつの目標を追い続けていたからこそ苦しみや、傷、そして悲しみも堪えることができた。しかしゴールに辿りつ着いてしまうと幸福は束の間であり、これから何を追いかければよいのかわからず虚脱感を感じざるを得なかった。夢に挫折しても、夢を実現しても最後は虚しいものなのだろうか。

 

私は虚しさを言い訳に一日の大部分を、いや何日間でも体が堪えれるまで酒に浸かって過ごした。ある日小便が不便になった。夜に何度か起きて小便を足したものの、違和感があったため泌尿器科に行くと、前立腺が腫れたと診断され薬を処方された。血液検査の結果、前立腺癌ではないものの肝数値高いため内科で超音波審査を受けるように言われた。

生来酒好きな私にはいつも肝臓ノイローゼがついてまわった。肝臓に以上があることは前もってわかっていた。しかし不安が先立ちどうしても病院に足を運ぶことができなかった。そしてこれといった不便も、症状も現れなかった。

 

2007年7月27日 近くの内科で超音波検査を行う。中程度の脂肪肝、肝左葉萎縮、慢性膵臓炎の疑い、そして肝数値はAst - 37, Alt - 48, rGpt - 42, ALKP -248で正常よりは若干高めだったものの大きな心配はないということだった。4ヵ月後にはAst - 32, Alt - 18, rGpt - 48でほぼ正常値に回復し治療を終えた。

 

しかし1年後の2008年9月29日、私はもういちど同じ内科を訪れた。この1年間は尊敬し余生の師匠として仰いでいた小説家・イチョンジュン先生の肺がん発病のニュースを聞き残念でならなかった。私はこれを理由にしてまた酒に溺れる毎日を送った。7月にイチョンジュン先生の49日を終えた後はまるで自分の体ではないかのようだった。私は朝に目を空けるとスブリングのように起き上がった。しかし全身がだるくおきたくなかった。肝数値はAst - 117, Alt - 62, rGpt - 1196, ALKP - 1100だった。医者は深刻な数値だと言い、違う病院へ行きCTを撮って胆管閉鎖を確認するよう診断した。

 

2008年10月1日、私は先端総合病院へ行きCT撮影をした。医者は胆道と胆嚢が腫れているが、飲みすぎによる一時的なものだろうと診断し2が月間禁酒するように言った。一ヵ月後にAst - 81, Alt - 49 , rGpt - 386, ALKP - 146まで肝数値は下がった。しかしその一ヵ月後にAst - 81, Alt - 100, rGpt - 510, ALKP - 200と肝数値は跳ね上がり、以降下がることはなかった。

 

担当医であるチョウンテク教授はMRCP(MR胆管膵管撮影)を薦めた。そこで全南大病院に予約しMRI,ERCPを撮ることにした。家族はソウルにある病院へ行こうと言ったものの、病院に通った経験の無い私は診断は全て機械が下すのだからソウルでも釜山でも同じ機械を使えば違いが出るはずがないと考えていた(当っているように見えるが、これは大きな過ちだった。同じ写真を見ても医者の実力次第でその解釈と治療方法には天地の差があることこを私はその時知る由もなかった)

 

2009年1月19日全南大病院消化器内科にてチェ教授の診療を受けた。そして1月21日MRCPを撮影し、それに続いて2月12日にERCP(胆管造影検査)の診断を受けることにした。撮影の為に入院する当時の朝も私は普段と変わらず朝の運動をするために山へ登った。一時間ほど山を歩くのが私の日課だった。その日の午後に布団などを準備し妻と共に全南大病院に入院した。

 

希望していた大部屋が空いていなかったため一人部屋に入ると、看護婦はすぐに着替えるよう患者服を差し出した。私はお寺に奉公しに入った気がした。患者服を着るとすぐに点滴をさされた。そして退院する日まで私の腕には常にブドウ糖、栄養剤、生理食塩水、抗生剤などが注入され続けた。トイレに行くにもぶらりと垂れ下がったチューブと共にしなければいけなかった。

 

次の日、ERCPを終えると私の鼻にはカーテルが挿入された。胆汁を外に出すためだった。しかしカーテル挿入以前にも以降にも、何のための施術なのかという説明は全く行われなかった。もちろん必要だからこそ施術しているのだろうが、私としては不安が募った。病室ごとに貼ってある患者の権利という張り紙には「患者は検査、施術を受けるのに充分な説明を聞き、それを選択する権利がある」と書いてあるが、全南大病院ではこういった施術の説明を一度も聞くことはできなかった。

 

 

△全南大ERCP写真の中のひとつをコピーしたもの。上の説明はパクソニョン副教授がしてくれたもので私の記憶が正しいか定かではない。写真の説明は私が付けたものだ

癌との 同行 4-1
尊厳死を迎えるための宣言文