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癌との 同行 4-1
李ソン優 2009-10-16

癌との 同行 4-1

 

20数年前にハーバード医科大学出身・Andrew Weilの著書「自然治癒(Spontaneous Healing)」という本を読んだことがある。非常に分厚い本だったのが印象的だ。他にも産婦人科専門の有名総合病院のRobert S. Mendalsohn院長の著書「私は現代医学を不信する」、日本人医師・Ishihara Yumiの逆転医学に関する著書を読んで非常に共感を覚えたのを憶えている。これらの本を読んで以来、私は病気にかかっても病院に通わなくなった。

 

だからといって私は西洋医学を否定しているわけではない。これまでも風邪治療はもちろん糖尿、高血圧、癌治療など完治には至らずとも体の内部を正確に把握し、撮影・診断する技術は人類に大きな貢献をしている。また外科手術、臓器移植など一昔前では創造すらできなかった医療発展は賞賛に値するだろう。しかし診療や手術の処置が余りにも細分化されているのではないかと思うときがある。人体はそれぞれの器官と臓器が相互補完的な関係を築いて生命を維持しているのであり、その観点から見ると個体としての臓器だけに焦点を当てて部分的治療を行うことは難しいからだ。

 

だからといって東洋医学を手放しで賞賛するわけではない。人体を総合的に見つめて診断、治療することはできるが依然として数百年前に築かれた「東医宝鑑(ホジュン)」、「四象体質医学(イジェマ)」といった過去の理論を発展させることなく、現状に留まってばかりいるからだ。

 

私は西洋医学にも東洋医学にも特別な執着があるわけではない。互いをこき下ろす様はまるで自分の取り分を死守するための子供の喧嘩のようにもみえる。医学とは人の病気を治すところに根本的意味があるはずだ。病気を確実に治すことができれば、それが正式な医療として認められていないお灸や、針治療、漢方茶であったとしても立派な医学だとは言えないだろうか。

 

肺が臓器の中心にあるという主張に同感

 

便康湯の韓医学的根拠は「肺が臓器の中心にある」という理論にある。私はこのソヒョソク院長の主張に感銘を受けた。一般的な韓医学的常識としては5つの臓器(心臓、肺、腎臓、脾臓、肝臓)の中で重要度が高いのは心臓または腎臓だといわれている。そんな一般論の観点から見るとソヒョソク院長の主張はピントがずれているようにも見える。

私は違う観点から院長の主張を理解しようとした。人間は宇宙の気が調和を成して創られたという言い伝えがある。私はこの言い伝えの通り人間と自然、そして宇宙に同じ気が通っているため互いに同一なものだと考えている。

人間は母の胎内にいる10ヶ月の間、心臓は動いているものの肺はまだ動いていない。この世に生まれてはじめて肺呼吸運動を始めるのだ。その肺呼吸運動の始まりを知らせるのが赤ん坊の泣き声である。新しい命が誕生したことを人々に知らせる合図のようなものだ。このように肺を通して気を取り入れることで生命活動を始めることができる。同様に生命の終焉は、肺呼吸の停止によってもたらされる。

 

このように宇宙と自然の新鮮で、清い気を取り入れることで生命力を躍動させることができる。それと同時に古く、汚れた気を外に吐き出すことで体の恒常性を維持することができる。こういった観点から見れば肺こそ生命の始まりと終りを握る鍵だといえる。ソヒョソク院長が肺を臓器の中心と呼ぶのもこういった観点を持っているからだ。

 

韓医学も独創的で相違的な研究が行われなければ数百年の停滞からいつまでも抜け出すことができないだろう。そして東西医学の違いが重要なのではなく、病気を持つ人の健康を取り戻すことができるかどうかを評価の基準に据えなければいえkない。命の価値を顧ず、専攻分野の利得のために相手を中傷するような集団利己主義は捨て去らなければいけない。その意味でも私は西洋医学の本場であるドイツにおいて代替医学が発達し、アメリカで補完医学が広まっている現在の状況に喜びを感じると同時に大きな期待を寄せいている。

 

癌との 同行 4-2
発病と診断(1)