癌との 同行 4-2
薬を信じる前に、医者を信じる
私が便康湯を治療薬として服用することをきめた理由はソヒョソク院長に対する信頼があるからだ。私は高校時代にソ院長と一緒に一つの屋根の下で1年を過ごしたことがあった。私はその頃からソ院長の非凡な才能と枠に捕らわれることのない奇抜な発想、そして彼を支える人格的な父親と母親のことを今でも鮮明に記憶している。その後、そのかわいい後輩がキョンヒ大學韓医学科にトップで合格したという噂を聞き自分のことのように喜んだものである。
便康湯がFDAで無毒性認可を受けたという保証がなかったとしても、ソヒョソク院長が作った薬であれば私は心から信じることができる。インターネットを見れば癌を治療する薬は山のように存在する。その謳い文句の耳障りは心地よいものの疑う気持ちが消えることはない。もちろんその薬でよくなった人もいるわけだが、科学的根拠が薄いものを信頼することはできない。生薬がどうのこうのと宣伝しているが農薬に汚染された中国産の材料を使った薬がどれだけ多いか忘れてはならない。
私が癌にかかったことを知って、友人や知人がたくさんの薬を紹介してくれた。××ナチュラル、AHCC、BRM薬剤などなど枚挙にいとまがない。同じ薬を飲んで治る人もいれば、治らない人もいるのを見ると薬に合う体質がどうやらあるようだ。それから私は高すぎる薬は本当に意味で薬ではないと考えている。薬も商品であり利益を出すために製造されてはいるが、基本的な人間への愛情を失って利益だけを追求した薬はもはや薬ではない。
巷で騒がれているお金持ちのセレブが癌にかかったものの病気を克服したという話など聞いたことがない。値段の高い薬だけに依存しようとする金持ちは安くても本当の価値をもった薬など目に入らないからだ。どちらかというと癌は経済的に少し厳しい人の方が克服できる。高い薬や手術に手を出さないかわりに、有機農野菜を食べたり誰でもできるような健康法を実践することで癌を克服してしまう人は意外にも多く存在する。人にとっても最も大切な太陽の光と熱、そして私たちを生きながらえさせてくれる空気はすべてお金のかからないものだ。大道無門という言葉の通り、本当に人々に必要な道は全ての人が通れるようになっているものだ。つまり本当に効果のある薬は価格も適当であるべきであり、便康湯はその点でも私を満足させてくれた。
何をするにしても信頼は最も大切な要素である。聖書には小さな信仰が山をも動かすという聖句があるではないか。(ルか17章6節)仏教でも一切唯心造、心外無別法と説いている。どんなに有名な薬でも信じて飲むことができなければその効果を発揮することができないだろう。それがたとえただの水だったとしても、その水に対する絶対的な信頼があればその水は薬になりうるというのが私の考えである。薬と偽って飲ませたものが、患者に驚くべき効果を発揮したという笑い話もあるではないか。
便康湯と共に闘病生活を始める
癌にかかった理由はすべて自分にある。誰かのせいで感染したわけではない。私の間違った生活習慣、食生活、環境、そして愚かな思考回路による結果であり、誰を責めることもできない。
私は癌にかかったことを恥ずべき事と感じている。私が癌を克服するためには上に挙げたものー生活習慣や食生活などーを正しいものにしなければいけない。そうしてこそ私はこれまでと正反対の生活を送ることができるはずだ。
ソヒョソク院長は私に便康湯の基本だけを説明した。癌を治療できるとか、私に服用をするように勧めたりはしなかった。しかし私はソ院長の言葉の中に私が探し求めていた薬を発見したのだった。今の私に一番必要な薬を。
私は便康湯以外の薬を飲んでいない。病院でも私に処方する薬はないと言われたからだ。私は便康湯を飲みながら4ヶ月前から酒を、1年前から煙草を自ら禁じた。そしてできるだけ肉類も摂らないようにした。今の私の食事は豆腐中心の菜食である。そして朝に1時間ほど山に登って運動をしている。生活の全てを依然とは反対に変える必要があった。しかし未だに変えることができないのが自分の心である。
もっと肯定的に、より幅広い心、全てに感謝できる心、生きていることに幸福を感じる心。意識してはいるものの難しいものである。妻は私によく笑うように指摘する。それも難しいものである。自分の心を治療するのが何よりも難しいと痛感させられる。
しかし時間が過ぎるにつれて私の心は安らいでいった。仏教の苦集滅道の滅執が思い出されるようだ。執着を取り除いてこそ道に至るという意味だったと思う。生死に捕われぬよう自らを自制する。李舜臣将軍の名言、「死を覚悟して闘えば生きるだろう、生きるために闘えば死ぬだろう(必死則生 必生則死)」が身に染みてわかる気がする。生死に捕われてはいけない。
癌患者にとって最も大きな不安は、死を目前に控えた時の耐えがたい痛みである。鎮痛剤の量を最大限まで引き上げても、麻薬のような薬を使ってもその痛みから逃れられないことがある。その痛みを和らげるために神経を切断する手術を行う場合もあるくらいだ。しかし「便康医学」14ページを見ると「末期肺癌患者が便康湯を服用して苦しむことなく臨終を迎える。。。」という記事がある。3人の末期患者が臨終の前日まで普段通り生活していたことを伝える記事である。私はこの理由だけでも生涯を便康湯と共に過ごしたいと思う。
朝の5時に目を覚まし、山に登ることから始まる私の日常は、簡単なヨガ、クラシックを聞きながらの読書、ホームページの管理、ネットサーフィン、妻との散歩と意外にも忙しい。それでも春の訪れを感じるかのように心が安らいでいくのを実感している。もちろんふと立ち止まった瞬間に底の見えない絶望に体を硬直させることもある。
私は便康湯を飲む時間を楽しみにしている。100ccほどの量を飲むときは、ひよこが水を飲むように一口一口大事に、吟味しながら飲んでいる。飲むときはこの便康湯で私の免疫力と自然治癒力を増加させるんだと呪文を唱えるようにしている。そしてそれを体が感じれるように意識を集中する。私はソヒョソク院長を信じるように、この便康湯を信じている。
信じるものは救われる。。。(ヨハネ 20:24-31)
ソヒョソク(便康韓医院長)
1972년 慶熙大学韓医学科卒業
1989년 東大門 ペクチェダン韓医院開院
1991년 ソウル市東大門区 韓医師会会長歴任
1992년 韓韓医師教会薬剤 鑑別委員長歴任
1993년 韓薬紛争当時大韓韓医師協会首席副会長歴任
1998년 グンポ市南天 韓方病院長を歴任
2001년 グンポ市慶熙韓医院院長歴任
2003년 アンサン便康韓医院
平和放送 TV”ソヒョソクの韓方ものがたり”
”ズームインメディカル
ソヒョソクの呼吸クリニック 9ヶ月間進行
著書 アトピーから難病まで
奇跡の健康法 など
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